日本語の勉強を始めて、もう三年になります。最初の一年は本当に大変でしたが、今ではこの言語が私の生活の一部になっています。外国語を学ぶというのは、ただ単語を覚えることではなく、新しい自分に出会うことだと感じています。

從我開始學日文到現在,已經三年了。 最初的一年真的很辛苦,但如今這門語言已經成為我生活的一部分。 學外語,我覺得,不只是背單字,更是與一個全新的自己相遇。

きっかけははっきり覚えています。高校生のころに見たアニメの最終回で、主人公が小さな声で「君がいてくれてよかった」と言ったのですが、その一言の意味が字幕を読んでも本当には伝わってこなかったのです。日本語そのものを理解できるようにならないと、この感動の正体はわからない。そう思った夜から、私の長い旅が始まりました。

契機我記得非常清楚。 高中時看的一部動畫的最終話裡,主角小聲說了一句「有你在真好」,可是即使讀了字幕,那句話真正的分量也沒能傳到我心裡。 如果不能直接聽懂日文本身,就永遠不會明白那份感動到底是什麼。 從那個晚上起,我漫長的旅程便開始了。

最初の壁はひらがなとカタカナでした。「シ」と「ツ」、「ソ」と「ン」の違いが全然見えなくて、毎日ノートに何十回も書いたものです。漢字に入ってからはさらに難しく、「日」が入る単語だけでも読み方がいくつもあって、覚えても覚えても忘れてしまいました。それでも、毎朝十個ずつ書き続けたおかげで、半年後には簡単な文章が読めるようになりました。

第一道坎是平假名和片假名。 那些長得幾乎一模一樣的字母,我怎麼也分不出區別,每天都在筆記本上抄好幾十遍。 到了漢字就更難了,光是一個常用字,唸法就有好幾種,背了又忘,忘了又背。 即使如此,多虧每天早上堅持寫十個字,半年後我已經能讀懂簡單的句子。

勉強の方法は何度も変わりました。最初は教科書だけで勉強していたのですが、それでは話せるようにはなりませんでした。文法は完璧なのに口から言葉が出てこない、そんな自分に対していらいらする日が続いたのです。教科書中心の勉強がすべてだというわけではないと気づいたのは、そのころでした。

學習方式換過好幾次。 一開始我只靠教科書學習,可是那樣根本練不出口語。 文法明明都對,話卻怎麼也說不出來,那段日子我對自己煩躁得不得了。 也就是那時,我才意識到以教科書為中心的學習並不一定就是全部。