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JLPT N2物語

安達が原の鬼婆

旅人が泊まった一軒家に潜む恐怖のお話。

はるか昔、奥州の安達が原と呼ばれる荒れ果てた野原を、ひとりの旅の僧侶が通りかかった折のことである。秋の日はとうに沈み、辺りには冷たい風が吹きすさんで、宿となるべき家はおろか、人影さえ見当たらなかった。

途方に暮れつつ歩き続けるうちに、はるか前方にポツリと一軒の小屋の明かりが見えてきた。近づいてみると、それは粗末で今にも崩れそうな造りではあったものの、僧侶にとっては地獄に仏というほかなかった。

戸を叩くと、中から年老いた女が顔を出した。僧侶が「ご無礼を承知の上で申し上げますが、一晩だけ軒先をお貸しいただけないでしょうか」と頼み込むと、老婆はしばしためらう様子であったが、気の毒に思ったのか、ようやく中へ招き入れてくれた。

中はひどく寒く、囲炉裏の火だけがわずかに揺れていた。老婆は粥のような薄い食事を出してくれたものの、ほとんど口を開こうとせず、何やら思い詰めたような顔をしていた。僧侶も、長旅の疲れもあって、深く詮索することなく黙々と箸を運ぶばかりであった。

夜も更けてきた頃、老婆はおもむろに立ち上がり、「すきま風が冷たくてかなわないので、裏山へ薪を拾いに行ってまいります」と告げた。立ち去り際に老婆は声を低くして、「ただし、私が留守の間、決してあの奥の部屋を覗いてはなりませぬ。もし覗こうものなら、恐ろしいことが起きるでしょう」と念を押した。

妙な言いつけではあったが、僧侶は深く考えるどころではなく、ただ一晩ぐっすり眠れることばかりを願って、火のそばに腰を下ろした。やがて、外で枯れ枝を踏む足音が遠ざかり、家の中は不気味なほどの静けさに包まれた。

しかし、待てども待てども、老婆は戻ってこなかった。次第に、僧侶の胸の奥では、最初はわずかな不安にすぎなかったものが、抑えがたい好奇心へと変わりつつあった。「あの奥の部屋には、いったい何があるのだろうか」と、気になってならないのである。

「覗くまい、覗くまい」と幾度も自分に言い聞かせたものの、誘惑はいよいよ強まるばかりであった。とうとう抑えきれなくなった僧侶は、足音を忍ばせて奥の襖の前まで歩み寄り、ほんのわずかに開けて中を覗いてしまった。

そこに広がっていた光景は、およそ言葉に尽くしがたいものであった。床一面には、白骨化した遺骸や、まだ新しい人間の死体が、まるで薪のように積み上げられていたのである。生臭い空気が一気に鼻を突き、僧侶は思わず後ずさった。

「あの老婆は、噂に聞く安達が原の鬼婆に相違ない」と、僧侶はその場で悟った。恐怖のあまり全身が震え、しばらくは立ち上がることさえできなかった。

それでも、ここに留まっていてはいずれ自分も餌食になりかねないと思い直し、僧侶は背中の荷物だけを掴むと、転がるようにして小屋から飛び出した。月のない夜道を、ただひたすら振り返ることなく走り続けるほかなかった。

ところが、老婆もまた、ほどなくして異変に気づいたらしかった。「おのれ、よくもあの部屋を見たな」という、地の底から響くような叫び声がしたかと思うと、背後には、もはや老婆とは似ても似つかぬ、髪を振り乱した恐ろしい鬼の姿が現れていた。

鬼婆は凄まじい速さで野を駆け、見る見るうちに僧侶との距離を縮めてきた。逃げ続ける僧侶もすでに息は切れ、足はもつれ、もはや絶体絶命の境地に追い込まれつつあった。

このままでは食い殺されるばかりだと覚悟を決めた僧侶は、最後の頼みにと、肌身離さず持ち歩いていた観音菩薩の像を背中から取り出した。膝をつくなり地に額を擦りつけ、声を限りに経を唱え始めたのである。

すると、不思議なことに、観音像から目もくらむような白い光が放たれた。その光に貫かれた鬼婆は、断末魔の悲鳴を上げて野原に倒れ、二度と起き上がることはなかった。

僧侶が命拾いをしたのは、ひとえに仏の加護にほかならなかった。その後、僧侶はかつて鬼婆の犠牲となった人々のためにと、近くの寺にしばらく留まり、ねんごろに供養を続けたという。

安達が原に旅人が消えるという話は、それ以来ぴたりとやんだそうである。