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JLPT N1物語

桃花源記

桃の花咲く秘境にたどり着いた漁師が、戦乱を逃れた人々の暮らす理想郷に出会う物語。

晋の太元年間のことである。武陵の地に、漁師として暮らしを立てる一人の男がいた。彼は日々小舟を操り、川をさかのぼっては魚を捕り、貧しいながらも穏やかな日々を送っていた。

ある春の日のこと、漁師はいつものように谷川をさかのぼっていた。岸辺の風景に見とれるうちに、自分がどれほどの距離を進んだか、まるで分からなくなっていた。気がつけば、見覚えのない場所まで来ていた。

ふと顔を上げると、両岸はことごとく桃の花で埋め尽くされていた。数百歩にもわたって、桃以外の木は一本も交じらず、よい香りの草が地を覆い、桃色の花びらが風に乗ってはらはらと散り落ちていた。川面にも花びらは幾重にも浮かび、舟はまるで花の流れの上を行くように進んでいった。それは、人の世のものとは思えないほど美しい光景だった。

漁師は、これほどの桃の林をかつて見たことがなかったので、不思議に思いながらもなお舟を進めた。「この花の林はどこまで続くのだろうか」と、彼はひとりつぶやいた。やがて、桃の林は山のふもとで終わった。

そこには小さな山があり、ふもとに猫の額ほどの穴が口を開けていた。穴の奥からは、かすかに光が漏れているように見えた。漁師は思わず舟を岸につけ、その光に誘われるように、穴へと足を踏み入れた。

入口こそ、ようやく人一人が通り抜けるほどの狭さだったが、しばらく進むうちに、突如として目の前が開けた。彼は、思わず息を呑んで立ち止まった。

そこには、ゆるやかに開けた平地が広がっていた。整然と区切られた田畑、こざっぱりとした家々が連なり、そのあいだを桑や竹が緑濃く茂っている。あぜ道は東西南北にめぐらされ、どこからか鶏の鳴き声や、犬の遠吠えが聞こえてくる。

行き交う人々の身なりは、いささか古風ではあったが、男も女も、老人も若者も、皆ゆったりとした足取りで、楽しげに語らいながら歩いている。誰一人として、憂いを帯びた顔をしていなかった。それはまさに、桃源郷ならではの光景だった。

漁師の姿を見つけた村人の一人が、目を見開いて駆け寄ってきた。「あなたはどこから来たのか」と、その村人は驚きながら尋ねた。漁師がありのままに答えると、村人は彼を連れて、自分の家へと案内した。

主人は鶏を絞めて酒を運び、客人を心からもてなした。やがて、村中の人々が漁師の来訪を聞きつけ、続々と集まってきた。彼らは皆、口々に外の世界の様子を尋ね、漁師の語る一言一句に、息をひそめて聞き入った。

やがて、その中で最も年老いて見える人物が、静かに語り始めた。「我らの先祖は、その昔秦の世の乱を避けようと、妻子を率いてこの人里離れた土地までたどり着いたのです。それ以来、二度として外へ出る者はいませんでした」と。

「以来、我らはこの地で世を捨てて暮らしてまいりました。外の世界とは久しく交わりを絶ち、今がいかなる時代であるのかさえ知りません」と長老は続けた。漁師は驚きを抑えきれず、漢の世も、それを継いだ魏も、晋の今の世のことも、知らないのかと問うた。

長老をはじめ、村人たちはことごとく顔を見合わせ、深いため息をついた。漁師は乞われるままに、外の世界で起こったことの数々を、ひとつひとつ詳しく語って聞かせた。村人たちは、聞くたびにため息をつき、聞き終えた後もしばらくは言葉なく座っていた。

それから数日のあいだ、漁師は村人たちの厚いもてなしを受け、家から家へと招かれた。どの家でも、酒と料理が惜しみなく振る舞われ、彼を歓迎してやまなかった。漁師は、これほど穏やかな日々を今までに過ごしたことがなかった。

やがて、漁師は外の世界へ帰る決意を伝えた。村人たちは、別れを惜しみつつ、こう告げた。「我らがここにあることを、どうか外の人々には語らずにいてください」と。漁師は固く約束をして、村を後にした。

しかし、漁師は、心のうちに約束を裏切る考えを抱きはじめていた。彼は舟を見つけて川を下りながら、目印になりそうな場所をひそかに記憶していった。「いつか必ず、もう一度ここへ戻ってこよう」と、彼は心ひそかに思っていた。

郡へ戻った漁師は、すぐに太守のもとへ行き、見聞きしたところをくわしく報告した。太守はこの不思議な話に驚き、ただちに役人を派遣し、漁師を案内人として、かの地を再び探させた。

ところが、いくら漁師がかつての道筋をたどろうとしても、目印はすでにあとかたもなく失われていた。山を巡っても、川をさかのぼっても、桃源郷へ至る道は、ついに見つけ出すことができなかった。あれはまぼろしだったのかと、漁師は呆然と立ち尽くしていた。

その後、南陽の立派な人物である劉子驥という者が、この話を伝え聞いて、自らも桃源郷を求めて旅立とうとした。しかし、彼はその志を果たすことなく病に倒れ、まもなく世を去った。それからというもの、桃源郷を探そうとする者は、ついに二度と現れなかった。

— 完 —