祖母の箪笥の引き出しを開けると、色褪せた手紙の束が几帳面に紐で結ばれて並んでいる。差出人は祖父であり、戦地から、出張先から、あるいは隣町の宿から、几帳面な万年筆の字で日々の些事を綴ったものだ。一通読むのに数分とかからないが、その一通が届くまでに祖母は幾日も待った。待つという時間そのものに意味が宿っていたことは、想像にかたくない。

拉開祖母衣櫥的抽屜,裡面整整齊齊地放著一捆已經褪色的舊信,用細繩仔仔細細地綁著。 寄信人是祖父——有的是從戰地寄回來的,有的來自出差途中,還有的是從鄰鎮的小旅館寄出。 每一封都用鋼筆工工整整地寫滿了日常瑣事。 隨手抽出一封讀完不過幾分鐘,可祖母為了等這一封,卻得等上好幾天。 等待這件事本身,在那個年代承載著怎樣的意義,是不難想像的。

電話が一般家庭に普及したのは、戦後の高度成長期を皮切りにしてのことであった。黒い受話器を握りしめ、遠い土地にいる息子の声を初めて耳にした母親が、言葉に詰まって泣いてしまったという話を、私は祖母から幾度となく聞かされた。距離が消えるという感覚は、当時の人々にとってまさに革命であったのだろう。

電話進入一般家庭,是從戰後高度成長期開始的。 一位母親第一次握著黑色聽筒,聽見遠方兒子的聲音,竟一時語塞,當場哭了出來——這個故事,祖母不知對我講過幾次。 距離消失了的那種感受,對當時的人們來說,簡直就是一場革命。

しかし、その革命にも値段はあった。市外通話の料金表は壁に貼られ、子どもたちは三分という時間を意識して話すよう躾けられた。長電話を叱る親の声は、今となっては懐かしい風景である。声が届くという奇跡の代償として、人々は時間を計りながら言葉を選ぶ術を覚えた。

然而這場革命也是有代價的。 長途電話的費率表貼在牆上,孩子們從小就被叮嚀要記得三分鐘這個時間關卡。 父母責備小孩講電話講太久的情景,現在回想起來,已是令人懷念的風景。 作為「聲音能跨越距離」這項奇蹟的代價,人們學會了一邊看著時鐘、一邊斟酌用詞的本事。

九十年代の半ば、職場にメールというものが入ってきたとき、上司たちは戸惑いを隠さなかった。「これを送って失礼にあたらないだろうか」と何度も書き直す姿は、今思えば微笑ましいものであった。電話一本で済んでいた連絡が、文章として残るようになり、言葉の重みが俄かに変質し始めた。

九〇年代中期,電子郵件第一次進入辦公室時,主管們對此毫不掩飾自己的困惑。 「這樣寄出去會不會失禮? 」他們反覆改稿的樣子,如今想來頗為可愛。 原本一通電話就能解決的聯絡,開始以文字的形式留存下來,言語的分量也突然開始變調。

携帯電話の登場は、コミュニケーションのあり方を根底から覆したと言っても過言ではない。待ち合わせ場所を決めずに街へ出るという行為が、若者の間で当たり前になった。「今どこ」という一言で全てが片付くようになり、約束という概念そのものが希薄になっていった。

手機的登場,可以說徹底顛覆了溝通的形態,這並不為過。 在年輕人之間,沒約好碰面地點就直接出門逛街,漸漸成了家常便飯。 一句「你在哪? 」就把一切搞定了,「約定」這個概念本身也愈來愈淡薄。

メールが廃れ、SMSがLINEへと移り変わるまで、さほどの歳月を要さなかった。スタンプ一つで感情を伝え合うやり取りは、文字を綴る労を省くと同時に、言葉そのものを軽くもした。便利になればなったで、伝えるべきものが伝わらないという奇妙な現象が頻発するようになる。

電子郵件式微,簡訊被LINE取代,這之間並沒有花上多少時光。 一個貼圖就能傳達情緒的對話,省去了組織文字的辛勞,卻也讓言語本身變得輕飄飄的。 愈是便利之後又有新的便利,奇妙的是,該傳達的東西反倒愈來愈傳不出去了。