返回 JLPT N2
JLPT N2日常生活

日本のミニマリスト日本的極簡主義者

必要最低限の物だけで暮らすミニマリストの文化的背景。只用最少物品生活的極簡主義者的文化背景。

近年、日本では「ミニマリスト」と呼ばれる人々が静かに増えつつあります。彼らは必要最低限の物だけで暮らすことを選び、家具も服も食器も、本当に毎日使う物しか持たないという生活を実践しています。テレビ番組や雑誌で取り上げられる機会も多くなり、特に二十代から三十代の若い世代を中心に共感が広がっているようです。インターネットで「ミニマリスト 部屋」と検索すれば、家具がほとんど何もない真っ白な部屋の写真が次々と出てきます。

近年來,在日本被稱為「極簡主義者」的人正悄悄地越來越多。 他們選擇只用最低限度的物品來過生活,不論是家具、衣服還是餐具,都只留下每天真正會用到的東西。 在電視節目和雜誌上被報導的機會也越來越多,尤其在二十多歲到三十多歲的年輕世代中引起廣泛共鳴。 只要在網路上搜尋「極簡主義者 房間」,畫面上就會接連跳出一張又一張幾乎沒有任何家具、雪白一片的房間照片。

この流行は、物が溢れる現代社会への反動にほかなりません。高度経済成長期以来、日本人は多くの物を所有することが豊かさの象徴だと長年信じてきました。しかし二〇一一年の東日本大震災を契機に、「本当に大切な物は何か」を真剣に考え直す人が一気に増えたと言われています。津波で家ごと、家具ごと、思い出ごと失った人々の姿を目にした以上、自分が抱えている物への執着を見直さざるを得なかったのです。

這股風潮,正是對物品氾濫的現代社會的一種反彈。 自經濟高度成長期以來,日本人長期以來一直相信,擁有許多東西就是富足的象徵。 然而,據說以二〇一一年東日本大地震為契機,認真重新思考「真正重要的東西是什麼」的人一下子變多了。 親眼目睹海嘯把房屋、家具、回憶一起捲走的人們之後,他們不得不重新檢視自己對物品的執著。

ミニマリストの代表的な存在として、よく名前が挙がるのが佐々木典士さんです。彼の著書『ぼくたちに、もうモノは必要ない』は世界二十数か国で翻訳され、累計四十万部を超えるベストセラーになりました。元編集者だけあって、文章は驚くほど読みやすく、自身が以前住んでいた、本や服や家電が床まで散らかった部屋の写真も赤裸々に公開されています。本の中で彼は「物を減らしたら、人生で本当に大切なものが見えてきた」と繰り返し語っています。

作為極簡主義者的代表人物,最常被提起的就是佐佐木典士。 他的著作《我決定簡單生活》已被翻譯成二十多個國家的語言,累計銷量超過四十萬本,成為暢銷書。 不愧是當過編輯的人,他的文章讀起來出奇地順暢,連自己以前住過的、書本、衣物、家電堆到地板上的雜亂房間照片也都毫不掩飾地公開。 他在書中反覆說道:「東西變少之後,人生中真正重要的事物終於看清楚了。 」

整理整頓の分野では、近藤麻理恵さん、いわゆる「こんまり」さんの影響も無視できません。彼女が提唱する、手に取った瞬間に「ときめき」を感じるかどうかを基準に物を選ぶという方法は、アメリカでも大きな話題になり、ネットフリックスの番組にもなりました。さらに、二〇一〇年頃から広まった「断捨離」という言葉も、ミニマリストの考え方と深く結びついています。これは、いらない物を「断ち」「捨て」「離れる」という、ヨガの思想に由来する整理術です。

在收納整理領域,近藤麻理惠,也就是大家熟知的「KonMari」的影響同樣不容忽視。 她所提倡的、以拿起物品的瞬間是否「怦然心動」為標準來挑選物品的方法,在美國也造成了極大的迴響,甚至被拍成Netflix影集。 此外,從二〇一〇年前後開始流行起來的「斷捨離」一詞,也與極簡主義的思想有著深厚的連結。 這是一種源自瑜伽思想的整理術,意思是「斷絕」「捨棄」「脫離」不需要的物品。

実際にミニマリストの部屋を訪ねてみると、その徹底ぶりに驚かされます。私の知人の一人は、東京の小さなワンルームのアパートに、布団一組、ノートパソコン一台、服十五着、食器三組、本五冊しか置いていません。最初に部屋に入った瞬間、家具がほとんどないために、自分の足音が壁に響くほど静かだったのが印象的でした。「服を減らしたからこそ、毎朝何を着るか迷うことなく、五分で出かけられるんですよ」と彼は笑顔で話してくれました。

實際走訪極簡主義者的家時,他們的徹底程度會讓人嚇一跳。 我有一位熟人,在東京一間小小的套房裡,只擺著一套棉被、一台筆電、十五件衣服、三組餐具,以及五本書。 第一次踏進房間的那一瞬間,由於家具幾乎是空的,連自己的腳步聲都會在牆上回響,那種安靜讓我印象非常深刻。 「就是因為衣服減少了,每天早上才不必再為要穿什麼煩惱,五分鐘就能出門」,他笑著對我說。

ただし、ミニマリストの生き方が誰にでも合うというものではありません。家族と暮らす場合、自分の判断だけで物を捨てるわけにはいきません。また、子どもがいる家庭では、絵や写真など思い出の品を残したいという気持ちも自然に生まれます。「物を捨てすぎるのは極端だ」「結局、物を減らすこと自体が新しい執着にすぎないのではないか」という批判の声も少なくありません。実際、極端に物を減らしすぎて、生活に必要な道具まで手放してしまい、結局買い直す羽目になったという人もいるそうです。

不過,極簡主義者的生活方式並不見得適合每一個人。 和家人同住時,沒辦法只憑自己的判斷就把東西丟掉;同時,在有孩子的家庭裡,想保留孩子的畫作、照片這類充滿回憶之物的心情也會自然湧現。 「東西丟得太多太極端」、「說到底,減少物品本身不過是另一種執著罷了」之類的批評聲也並不少見。 事實上,聽說也有人減過了頭,連日常生活必需的工具都處理掉,最後不得不再重新買回來。

それでも、物との向き合い方を見直すという点では、ミニマリストの考え方は現代社会において確かな価値があると言えるでしょう。スマートフォンの通知も、ネット通販の段ボール箱も、月々のサブスクリプションの請求書も増え続ける時代だからこそ、自分にとって何が本当に必要かを見極める力が求められています。完璧なミニマリストになる必要はありません。ただ、毎日少しずつ、引き出しの中の一つの物と向き合ってみるだけでも、暮らしは驚くほど軽くなるものです。

即便如此,單就重新檢視人與物的關係這一點來看,極簡主義的思想在現代社會的確仍有其價值。 正因為這是一個手機通知、網購紙箱、每個月的訂閱帳單都不斷增加的時代,能夠分辨什麼才是自己真正需要之物的能力,才更顯重要。 我們不必勉強自己變成完美的極簡主義者。 哪怕只是每天一點一點地,認真面對抽屜裡的一件物品,生活也會變得意外地輕盈。

— 完 —