朝七時半、京都市バス206系統の停留所には、すでにスーツケースを抱えた観光客の長い列ができている。出勤前に乗り込もうとした地元の会社員は、扉が開くなり押し寄せる人波に阻まれ、結局見送らざるを得ない。三本待ってようやく乗れたという話も、いまや珍しくないどころか、日常の風景と化している。
早上七點半,京都市巴士206路的站牌前,已經排起了一長串拖著行李箱的觀光客隊伍。 一位準備上班的本地上班族走到車門前,門才剛打開就被湧進車廂的人潮擋住,最後只能無奈地目送公車駛離。 要等到第三班車才擠得上去的故事,如今不僅不算稀奇,反倒早已成了日常風景。
「以前は十五分で職場に着けたんですけどね」と、ある四十代の女性は苦笑する。停留所のベンチに腰掛けながら、彼女は次のバスが来るまでの十分間を、ただ立ち尽くすほかなかった。経済効果という言葉だけでは到底片づけられない現実が、彼女の通勤路にはあった。
「以前十五分鐘就到公司了呢。 」一位四十多歲的女性苦笑著說。 她坐在站牌旁的長椅上,在下一班車到來之前的十分鐘裡,除了傻站著別無他法。 她的通勤路上所上演的現實,絕非「經濟效益」一詞就能輕描淡寫帶過。
2024年以降、円安と航空便の回復を背景に、訪日外国人観光客の数は過去最高を更新し続けている。観光庁の統計によれば、年間の延べ人数はコロナ前を大きく上回り、消費額に至っては五兆円規模に達したという。数字だけを見れば、観光立国政策は功を奏したと言えなくもない。
2024年以後,在日圓貶值與航班復甦的背景之下,訪日外國觀光客的人數不斷刷新歷史新高。 根據觀光廳的統計,年度延人次已大幅超越疫情前水準,消費金額甚至達到了五兆日圓的規模。 光看數字,也不能不說觀光立國政策確實奏效。
しかし、その繁栄の裏側で、いわゆる観光公害が全国各地で噴出している。祇園の私道に立ち入って舞妓を追い回す観光客、富士山の絶景スポットに殺到しては路上に座り込んで撮影を始める集団、住宅街の玄関先にゴミを置き去りにする宿泊客。住民の忍耐にもほどがあるという声が、各地から上がっているのである。
然而,在這片繁榮的背後,所謂的「觀光公害」正在全國各地爆發。 擅闖祇園私道追逐舞妓的觀光客、蜂擁到富士山絕景點蹲坐在路中央拍照的人群、把垃圾留在住宅玄關前的房客。 居民的忍耐也該有個限度——這樣的呼聲正從各地此起彼落地響起。
祇園では2024年春、ついに観光客の私道への立ち入りを禁止する措置が取られた。「舞妓パパラッチ」と揶揄される行為に業を煮やした地元町内会が、市と協議のうえ独自の規制に踏み切ったのだ。看板を立てるのみならず、違反者には罰金を科すという徹底ぶりで、ようやく一定の効果を挙げている。
祇園在2024年春天,終於實施了禁止觀光客進入私道的措施。 當地町內會對被譏為「舞妓狗仔隊」的行為忍無可忍,與市政府協商後,毅然推出了自主規範。 除了豎立告示牌之外,還對違規者處以罰金,如此徹底的做法終於帶來了一定的成效。
富士山においても、山梨県側の登山口で入山料の徴収が始まった。さらに、河口湖町のローソン前では、富士山を背景に写真を撮ろうとする観光客が車道にあふれ出す事態が頻発したため、町は黒い目隠しスクリーンを設置するに至った。観光地を守るためとはいえ、絶景に幕を引かざるを得ない措置は、何とも皮肉な光景である。
富士山這邊,山梨縣一側的登山口也開始收取入山費。 此外,由於河口湖町的羅森便利商店門前,頻頻出現以富士山為背景拍照的觀光客滿出車道的情況,町方甚至設置了黑色遮擋屏。 為了保護觀光地,竟不得不為絕景拉上布幕——這樣的景象實在頗具諷刺意味。
問題は都市部にとどまらない。世界遺産の白川郷では、季節を問わず観光バスが村内に押し寄せ、住民の軽トラックが農道で立ち往生する始末だ。冬の雪景色を一目見ようと駆けつける来訪者の中には、私有地の田畑に踏み込む者すらいる。住民にしてみれば、生活の場が無断で見世物にされているような感覚であろう。
問題並不僅限於都市區。 在世界遺產白川鄉,觀光巴士不分季節地湧入村內,本地居民的小貨車竟在農用道路上動彈不得。 在為了一睹冬日雪景而趕來的訪客當中,甚至有人擅自踏進私有田地。 對居民而言,那感覺無異於自家生活空間被未經許可地當成展品。
宿泊施設の不足も深刻だ。京都市内のホテル稼働率は連日九割を超え、宿泊料金は数年前の二倍以上に跳ね上がった。出張で泊まろうにも泊まれないというビジネスマンの嘆きが、SNSにあふれている。地元住民が冠婚葬祭で親族を呼び寄せようにも、手頃な宿が見つからないという声まで聞かれる始末だ。
住宿設施的不足同樣嚴峻。 京都市區飯店的住房率連日突破九成,住宿費比幾年前翻了一倍以上。 出差想訂房卻訂不到——上班族的嘆息聲在社群網路上隨處可見。 甚至還出現本地居民因為婚喪喜慶想接親戚過來,卻找不到價格合理的住宿的情況。
民泊の急増もまた、地域社会に新たな摩擦をもたらしている。マンションの一室が無許可で民泊に転用され、深夜に大きなスーツケースを引きずる音や、廊下での大声に悩まされる住民が後を絶たない。管理組合が規約を改めようにも、所有者の合意形成に手間取り、対応は後手に回りがちである。
民宿的劇增也為地區社會帶來了新的摩擦。 公寓中的一戶被未經許可地改成民宿,深夜被拖行李箱的聲響和走廊裡的大聲喧嘩所困擾的住戶層出不窮。 即使管理委員會想修改規約,住戶之間要凝聚共識也曠日費時,因應總是慢半拍。
こうした事態を受け、各自治体は対策に乗り出している。京都市は宿泊税を最大一万円にまで引き上げる方針を打ち出し、観光客の集中する時間帯にバス専用の料金体系を導入することも検討されている。観光客あっての観光業ではあるものの、住民あっての観光地でもあるという認識が、ようやく行政に浸透してきたと言えよう。
面對這樣的局面,各地方政府紛紛祭出對策。 京都市公布了將住宿稅最高調漲到一萬日圓的方針,並正在研議在觀光客集中的時段對巴士採用專用的票價制度。 觀光業固然有賴於觀光客,但觀光地同樣有賴於居民——這樣的認知終於在行政層面慢慢扎根。
二重価格制度の議論も急速に進んでいる。すでに姫路城では、海外からの観光客の入場料を地元住民の四倍に設定する案が市長から示された。「差別ではないか」との批判もあるが、文化財の維持費を考えれば、応分の負担を求めるのは無理からぬ話だ。海外の主要観光地では、すでに同様の措置が珍しくない。
雙重定價制度的討論也正快速推進。 姬路城這邊,市長已提出將海外觀光客的入場費設為本地居民四倍的方案。 雖然也有「這不是歧視嗎」的批評,但考量到文化資產的維護成本,要求來訪者承擔相應的份額並非沒有道理。 在海外的主要觀光地,類似的措施早已不算罕見。
観光業に携わる事業者の心情は複雑だ。ある老舗旅館の女将は、「お客様が増えるのはありがたい限りですが、地元の方々に申し訳ない気持ちもあって」と打ち明ける。短期的な収益と長期的な地域との共存、その狭間で苦渋の選択を迫られる経営者は少なくない。利益を追い求めるあまり、地域の魅力そのものを損なってしまっては元も子もないのである。
從事觀光業者的心情其實相當複雜。 某老字號旅館的老闆娘坦言:「客人變多固然感激不盡,但同時也對本地居民懷有歉意。 」在短期收益與和地區長期共存之間,被迫做出痛苦抉擇的經營者並不在少數。 若一味追求利益反而損及地區本身的魅力,那就本末倒置了。
観光客の側にも、変化の兆しは見える。最近では、有名スポットを避けて地方の小さな町を訪れる「分散型観光」を志向する旅行者が、欧米圏を中心に増えてきた。SNSで話題になりにくい場所ほど、かえって本物の日本に出会えるという認識が広まりつつあるのだ。観光地の側も、こうした層をいかに取り込むかが、今後の鍵となるだろう。
觀光客這一端也出現了變化的徵兆。 最近,尤其在歐美的旅人之間,傾向於「分散型觀光」、避開知名景點而選擇造訪地方小鎮的人愈來愈多。 社群網路上越是不容易爆紅的地方,反而越能邂逅真正的日本——這樣的認知正在擴散。 觀光地這一方今後如何吸引這個族群,恐怕將成為關鍵。
夕方、再びあの停留所に戻ると、観光客の列はさらに伸びていた。地元の高校生たちは、もはやバスを諦めて自転車で坂道を漕ぎ上がっていく。観光と生活の境界線を、誰がどう引くのか。答えは一朝一夕には出るまいが、模索を続けるほかに道はない。
到了傍晚再回到那個站牌,觀光客的隊伍排得更長了。 本地的高中生們早就放棄搭公車,騎著腳踏車奮力騎上坡道。 觀光與生活的界線,到底由誰、又該如何劃定? 答案恐怕難以一朝一夕就有結論,但除了繼續摸索,別無他路。
持続可能な観光のあり方を真剣に問い直さなければ、京都も富士山も白川郷も、やがては「住む人のいない観光地」と化してしまいかねない。訪れる側と迎える側、双方の歩み寄りなくしては、真の意味で豊かな観光体験は生まれ得ないのである。
若不認真重新審視永續觀光的應有樣貌,京都、富士山乃至白川鄉,都有可能終有一天淪為「沒有住戶的觀光地」。 來訪方與迎接方之間若無相互讓步,真正意義上豐富的觀光體驗便無從誕生。