哲学者

夜更けにすまんね、わざわざ来てもらって。実はここ数日、ずっと頭を離れない問いがあるんだ。我々が絶対的だと信じて疑わない真理とは、所詮、人間の限られた認識能力が作り出した幻想に過ぎないのではないか、と。

這麼晚把你叫出來,真是不好意思。 其實這幾天,有一個問題始終縈繞在我腦海。 我們深信不疑的所謂絕對真理,歸根結底,不就是人類有限的認知能力所製造出的一種幻覺嗎?

同僚

それはまた古典的な、しかし避けては通れない問いね。確かに、いかなる高度な科学をもってしても、宇宙の深淵を完全に理解することには無理がある。けれども、だからといって全ての真理が相対的な虚無だと言い切るのも、極まりない飛躍ではないかしら。

這是個古典卻避無可避的問題。 誠然,無論何等高深的科學,要徹底洞悉宇宙的深淵都是力有未逮。 然而,因此便斷言一切真理皆為相對的虛無,這本身豈不也是一種極端的跳躍?

哲学者

では、君にとっての真理とは一体何なのか聞かせてほしい。時代や文化の変遷とともに、正義や道徳の基準すらも絶えず揺れ動いているというのに。

那麼,我想聽聽對你而言,真理究竟是什麼。 要知道,正義與道德的標尺,也隨著時代與文化的變遷而不斷動搖。

同僚

永遠不変の実体など存在しないかもしれない。しかし、その不完全さを自覚しつつも、真の理解へと近づかんがため絶え間なく対話を続けるプロセスそのものにこそ、人間の尊厳があるのではないかしら。

永恆不變的實體,或許並不存在。 然而,在自覺於這種不完美的同時,為了向真正的理解靠近而持續對話的過程本身,正是人類尊嚴之所在,不是嗎?

哲学者

答えのない問いを問い続けること自体が、我々の存在証明だというわけか。なんとも骨の折れる作業だが、思考を放棄した精神は死んだも同然だからな。

對沒有答案的問題不斷追問,本身便是我們的存在證明,是這個意思吧。 雖是極其費心之事,但放棄了思考的精神,便無異於已死。