今は昔、芥川という所に、たいそう弓の達者な武士が住んでおった。その矢の正確さは百発百中であり、その名声は近隣の村々にまで轟いていた。しかし、この武士には一つの奇妙な癖があった。それは、何事にも疑い深く、他人の言葉を容易には信じないということであった。
ある秋の夜、武士は家来を連れて山へ狩りに出かけていた。月明かりに照らされた山道を進むうち、彼らは一軒の古びた寺に辿り着いた。その寺は長らく放置されているらしく、庭には雑草が生い茂り、本堂の扉も朽ち果てていた。家来はこの山には化け物が出ると噂されていることを武士に告げ、早く立ち去ることを勧めたが、武士は「化け物などこの世に存在するはずがない」と一笑に付し、寺で夜を明かすことに決めたのである。
夜半を過ぎた頃、本堂の奥から何やら不気味な音が聞こえ始めた。床板が軋むような、あるいは低い唸り声のような音が、次第に近づいてくる。家来たちは恐怖に震え上がったが、武士は冷静に弓を手に取り、暗闇を見据えた。やがて、障子の奥に巨大な人影が浮かび上がった。その影は異常に大きく、明らかに人間のそれではない。
武士は躊躇することなく、矢をつがえてその影めがけて放った。矢は見事に影の胸のあたりに命中し、凄まじい悲鳴とともに影は倒れ伏した。翌朝、明るくなってから確認してみると、そこに倒れていたのは長年山で生き延びてきた巨大な老狐であった。狐は人を化かす術に長けており、寺に迷い込んだ旅人を脅かしては食い殺していたのである。
狐の腹には見事に矢が突き刺さっており、もはや息絶えていた。村人たちはこの悪しき狐を退治した武士の勇気と弓の腕前を讃え、口々に感謝の意を表した。しかし武士は、「己の眼で見たものしか信じぬが、世の中には己の知らぬ不思議があるものだ」と述懐し、その後は以前ほど他人の言葉を無碍に否定することはなくなったという。
事の顛末は宮中にも伝わり、武士は恩賞を授かった。このように、弓の腕前が優れているだけでなく、未知の存在に対して畏敬の念を持つこともまた、武士たる者の務めであると語り継がれている。