平安時代、宮中の花形として並ぶ者がいないほどの華やぎを誇った光源氏であったが、ある政争に巻き込まれ、ついに都を離れる決意を固めた。彼は何人かの忠実な家臣を従えて、人里離れた須磨の浦へと、自ら退き隠れることとなった。
須磨の海辺の暮らしは、栄華の極みにあったかつての光源氏には想像もつかないほど、わびしいものであった。わらぶきの仮の住まいは、波の音と松風の音にひと晩中囲まれ、都にあった頃の管弦の宴とは似ても似つかず、ただ深い寂しさだけが彼を包んでいた。
都に残してきた愛しい人々の面影が、夜ごとに彼の胸に思い浮かんでは消えた。光源氏は、手紙を書いては都の女たちに送り、また都からの便りをひそかに待ち望むことを、唯一の慰めとしていた。
都を恋しく思う気持ちは、日に日に募るばかりであった。朝、海を眺めては、向こうのはるか彼方に、都があるはずの方角を見やった。夜、月を見上げては、都にあるであろう同じ月を見ているはずの人々のことを思った。
秋が深まる頃、須磨の地は、まことに荒れ果てた様子を漂わせるようになった。「ここでこのまま朽ちてゆく運命なのだろうか」と、光源氏はしばしば思いに沈んだ。自身の意志でこの地に退いたとはいえ、その心の奥にある寂しさは、誰にも打ち明けることのできぬものであった。
ある春の夕、空がにわかに曇り、不気味な風が浜辺を吹き渡り始めた。やがて、激しい雷鳴が天と地を震わせ、稲妻が幾度も海面を白く照らし出した。光源氏らは震え上がり、仮の住まいにこもって祈るほかなかった。
雷雨は三日三晩にわたって止まず、海は荒れ狂って岸を呑み込まんばかりであった。自然の猛威を前にしては、いかなる高貴な身分の者であろうと、なすすべがない。光源氏はこのまま都から遠く離れたこの土地で命を落とすのではないかという、深い絶望に襲われた。
しかし、都の政争に敗れ、自らの意志でこの地へと退いた手前、今さら泣き言を漏らすこともためらわれた。彼は、つき従う家臣たちを案じ、ただ「まことに哀れに忍びない」と独り涙をこぼすばかりであった。