はるか昔、武蔵の国のとある山里に、茂作と巳之吉という二人の木こりが住んでいた。茂作はもう髪が真っ白に近い老人であったが、弟子の巳之吉はまだ十八の血気盛んな若者であった。
ある冬の日のことであった。二人がいつものように奥山で木を切っていると、午後遅くから空模様が急に怪しくなり、たちまち吹き荒れる猛烈な吹雪に見舞われてしまった。
帰ろうにも、視界はわずか数歩先までしか効かず、道はすっかり雪に埋もれていた。仕方なく、二人は山道の途中にあった渡し守の粗末な小屋に転がり込み、嵐をやり過ごすことにしたのである。
小屋には火の気もなく、外と変わらぬほど冷たかったが、もはやそれ以上のぜいたくは言えなかった。二人は身を寄せ合うようにして横になり、長い一日の疲れに身を任せて深い眠りに落ちていった。
夜中、ふと巳之吉は、自分の頬に氷のように冷たい息が吹きかかるのを感じて目を覚ました。半分眠ったままぼんやり目を開けると、すぐそばに、見たこともない白い装束をまとった一人の女の姿があった。
髪は深い黒、肌は雪のように白く、何より目を奪われたのは、その口から漏れる息が音もなく白く凍りついていくさまであった。女は茂作の上にすうっとかがみ込み、長い長い白い息を、まるで霜のように吹きかけていた。
巳之吉が声を上げる間もなく、茂作は身じろぎひとつしないまま、すでにこと切れていた。
ようやく気づいた女が振り返り、巳之吉と目が合った瞬間、彼の血は全身から引いていくようであった。「お前にも同じようにしてやろうかと思ったものの、見れば、まだ若い体つきをしておる」と、女は静かな声で言った。
「ゆえに今宵だけは命を助けてやろう。だが、今夜ここで見たことを、たとえ実の母にであれ、決して他言してはならぬ。もし一言でも口外しようものなら、その時には必ず命をもらいに参るぞ」
そう冷たく言い残すと、女は戸の隙間から白い吹雪の中へ、煙のようにすうっと姿を消した。気がつくと外はすでに白々と夜が明けかかっており、雪はいつの間にかぴたりとやんでいた。
茂作の弔いを済ませた巳之吉は、それ以来、その一夜の出来事については誰にも一言も漏らさずに胸の奥にしまい込んだ。月日が流れるにつれて、悲しみも次第に薄れていったのである。
あくる年の春先のこと、山道を歩いていた巳之吉は、たまたま同じ方角へ向かう一人の若い旅の娘と道連れになった。彼女はお雪と名乗り、両親を亡くしたばかりで、江戸の親類のもとへ身を寄せる途中であるのだという。
雪のように白い肌と、すらりとした姿に、巳之吉はたちまち心を奪われた。話を聞けば、お雪のほうも宿のあてが心もとないという。そこで巳之吉は思いきって彼女を自分の家に連れ帰り、そのまま住まわせることにしたのである。
お雪は気立てが優しく、家事の腕にかけては並ぶ者がないほど見事であった。やがて二人は所帯を持ち、その後の十数年の間に、お雪は男女合わせて十人もの子をもうけた。不思議なのは、それほどの年月が経っても、彼女が一向に年を取らないことであった。村の人々はみな、「巳之吉は、あれほどの別嬪さんを妻にできて、世にもまれな果報者だ」と口々に羨んだ。
ある冬の晩のことであった。子どもたちがすっかり寝静まった後、巳之吉は囲炉裏のそばで針仕事をしている妻の横顔を、行灯の灯りの中でぼんやりと眺めていた。
雪のように白い頬と、髪に映る影とを見るうちに、彼の胸の中には、もう何十年も封じ込めていた一夜の記憶が、不意によみがえってきた。
「お前さんのその横顔を見ていると、若い時分に山で出会ったある女のことを思い出すよ。あれは夢だったのか、それとも本当に起きたことだったのか、今となってもよく分からないのだが」と、彼はついうっかり、永年守ってきた約束を破って口にしてしまった。
それまでうつむいて針を動かしていたお雪は、すうっと顔を上げ、巳之吉の顔をまっすぐ見据えた。その目はもはやふだんの優しいお雪のものではなく、あの吹雪の夜の冷たい雪女のそれにほかならなかった。
「あの時、確かに『誰にも話すな、話せば命をもらう』と申し渡しましたね。今すぐお前を殺してしまおうかと思う反面、残された子どもたちのことを思うと、それもあまりに不憫でなりません。子どもたちのことだけは、決して粗末になさいますな」と、お雪は震えるような声で言った。
最後の言葉を言い終えるか終わらないかのうちに、彼女の体は白い冷気となり、屋根の隙間からすうっと夜の闇へと消えていった。それ以来、お雪の姿を見たという者は、村のどこにも一人として現れなかったという。